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内陸へ移った学部を受け入れた大学

重慶大学は1929年に創立し、1933年に嘉陵江岸へ移った。戦時は国立中央大学と教員と単位を共有した。

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1929年創立、1933年移転

重慶大学は1929年に創立された。重慶出身で当時成都大学で教えていた教授たちが、地元に大学を望み、四川軍の劉湘が支援を約した。資金の一部は豚肉税から出た。1929年10月12日、菜園壩の楊家花園で二つの予科クラスが開かれ、同じ日に沙坪垻が永久校地に選ばれた。理科校舎は1933年に完成し、大学は嘉陵江岸の石門大橋近くへ移った。1935年までに文、理、農の三学院を備え、川辺の校地の形が整っていった。菜園壩から沙坪垻へ、校地は川に沿って西へ動き、規模も広がった。

重慶大学
重慶大学

移った学部、戻った校舎

1937年末に南京が陥落すると、政府は各機関に内陸への移転を命じた。国立中央大学と国立中央工学校は重慶へ移り、重慶大学は松林坡の200畝の土地を提供して校舎を建てさせた。その後九年間、両校は共同で運営した。教師は両方で教え、単位は互いに認められ、教員不足は二倍に膨らむどころか、両校で分け合われた。移転に加わった教授には馬寅初、李四光、呉冠中、そして盧作孚がいた。1946年8月、民生公司の船が中央大学を南京へ戻し、共同運営は終わった。両校の学生は、同じ教室で同じ講義を聞いた。

防空壕での講義

爆撃は課程そのものと同じくらい授業を変えた。1938年から1943年までに工学院の校舎は三度被弾したが倒れなかった。補修の跡は今も残り、失われた一角のそばには大爆撃の記念碑が立つ。空襲の多い日も学生は授業を受け、警報が鳴ると防空壕へ入った。李四光は工学院の地下室で暮らし、研究した。徐悲鴻は大学の地下壕の一つで灯火の下に絵を仕上げた。工学院長の馮簡は技師たちを率い、中国国際放送局を建てた。極東戦線で唯一の短波放送局で、「重慶の蛙」と呼ばれた。

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写真の出典と権利情報
  1. 重慶大学重庆轨交18 / CC BY-SA 4.0 · CC BY-SA 4.0 元写真の出典 ↗ 権利情報 ↗