沙坪垻区は重慶中心部の西、嘉陵江の西岸にある。面積は約396平方キロメートル、13の街道と11の鎮を管轄する。日中戦争の時期には沙磁区と呼ばれ、1937年以降、東部の都市から移ってきた学校、工場、病院を受け入れた。重慶大学は1929年に開校し、1933年に現在の江沿いの校地へ移った。1938年2月6日には重慶大学、四川教育学院、重慶南開中学、重慶電鋼工場などがこの地に落ち着き、北平、上海、南京から来た学校も加わった。戦時には北碚、成都、漢中の校地とともに、大後方の「文化四壩」と呼ばれた。
嘉陵江の明清磁器港が、戦時首都の文人たちの宿り場になった経緯を、石畳の路地と釘を使わない寺からたどる。
面積0.97平方キロメートルの街道。狭く曲がる路地、四つの社区、そして沙坪垻中心部の最高地点。
重慶大学は1929年に創立し、1933年に嘉陵江岸へ移った。戦時は国立中央大学と教員と単位を共有した。
1938年2月から1944年12月までの重慶大爆撃、山に掘られた防空壕、そして1941年6月5日に一つのトンネルで起きたこと。
嘉陵江下流の明清時代の港町。石畳の路地、釘を一本も使わない寺、戦時に行き場を求めた文人や画家たち。
沙坪垻の東にある細く高い坂。川沿いの道から上の校地へ、階段の路地がのぼっていく。
1929年に創立し、1933年に嘉陵江岸へ移転。戦時には南京から撤退した国立中央大学と教員・単位を共有した。
戦時首都を六年半にわたって襲った空襲。人々はトンネル、山肌、学校の地下室に身を寄せた。