雑誌から

呉灘の元帥の故郷と、町の陳列館

聶栄臻は石院子の屋敷に生まれ、十人の元帥で最後に逝った。江津は二つの事実を石に刻む。

同じ街をめぐる · 江津区 ↗

石院子

聶栄臻は1899年12月29日、江津県呉灘郷石院子に生まれた。父は聶仕先、母は唐雨衫。八歳で母方の祖父の家に三年通い、私塾で学んだ。1917年に江津中学へ入り、そこでダーウィン、ハクスリー、『新青年』を読んだ。1919年に学生運動へ参加し、学校が圧力を受けて続けられなくなると、勤工倹学の道でフランスへ渡った。1919年12月9日に上海を発ち、1920年1月14日にマルセイユへ着いた。江津の少年は、この川から海へ出た。彼が後に歩いた道は、この屋敷から、この川から始まった。

聶栄臻の故郷
聶栄臻の故郷

二つの建物と一つの名簿

石院子は今、「聶栄臻故居」の名で国指定の重要文化財になっている。1996年に四川が、2000年に重慶が公布し、2013年3月5日に第七批全国重点に入った。1999年、江津は市街に聶栄臻元帥陳列館を建てた。今は国立二級博物館、4A級景区で、館名は江沢民の筆。重慶聶栄臻研究会は1997年12月20日に成立し、事務局は館内にある。市街には銅像も立つ。故郷と町の館は、道を隔て、二つの記念を隔てている。故居と陳列館は古いものと新しいもの、一つは郷に、一つは町にあり、共に彼の記念地をなす。

十人の最後

1955年9月、彼は中華人民共和国元帥の階級を与えられ、後に「両弾一星」と呼ばれる国防現代化の工程を率いた。1992年5月14日、北京で死去、92歳。十人の元帥で最後に逝った。1999年11月、江津と都城、すなわち彼が1940年に救った日本人少女、美穂子の故郷は友好都市となった。1980年、美穂子は家族と北京で彼を見舞った。彼の早年の職歴は、ハッチンソン、シュナイダー、ルノー、シーメンスでタイヤ検査、鉗工、旋盤工、コークス工だった。元帥の履歴は工場から始まる。タイヤ検査から元帥まで、彼の一生はいくつもの異なる職業を渡った。

探索を続ける · 聶栄臻の故郷 ↗
写真の出典と権利情報
  1. 聶栄臻の故郷261026CQ / CC BY-SA 4.0 · CC BY-SA 4.0 元写真の出典 ↗ 権利情報 ↗