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最も遠くへ移った県城と、最初の百五十戸

1999年、雲陽は庫区のどの県より遠くへ県城を移した。一年後、150戸が上海へ去った。

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1999年に去った県城

1999年9月28日、雲陽県城は雲陽鎮を離れ、北岸の双江へ移った。庫区で最も遠い県城の全移転で、17万人以上が従った。新城はダムから162マイル、重慶から223マイル。県には今、15万戸余りの地元住宅と92万人があり、42万人以上が町に住む。旧県城とその地面は庫水の下にある。名は残った。雲陽は今も県内の一つの鎮で、地図に同じ名の点がある。移転は一度に終わらず、新城は双江で少しずつ育ち、旧城は少しずつ空になった。名は動かず、場所だけが動いた。

最初に外へ出た人々

2000年7月17日、雲陽の150戸が一緒に上海の崇明県へ移った。庫区で最初に外省へ出た移民である。その背後にある規模は国の記録に書かれている。129の城鎮が沈み、その中には大都市万州と中都市涪陵が含まれた。湖北と重慶の20の県区で、120万人以上が安置された。1997年3月、重慶が直轄市に拡大し、万県と涪陵の二つの地級市を引き受けたとき、工程全体の85パーセントの移民も引き受けた。一度の県城移転の背後に、国の勘定がある。150戸は始まりにすぎず、その後も外へ出る人は続いた。

県に残ったもの

県は三峡移民の文化のために博物館を建てた。古い記録も残している。紀元前314年に秦が朐忍県を置き、568年に県治が湯口へ移って雲安と改称、1283年に州、1373年にまた県となった。磐石城は今も新城の背後の高い所に立つ。県の生麺産業は中国市場の七割以上を供給し、この商売は川ではなく外へ出る道に支えられている。城は移ったが、県名、麺、より長い行政の記憶は残った。博物館は移転そのものを展示し、生麺は新城の生計を外の市場につなぐ。水が川の道を断ち、道が町をつなぎ直した。

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