小站の軍事の評判は、清末の短い時期に築かれた。1860年に天津が条約港として開かれると九つの外国が租界を設け、清朝の洋務派は市内で工業を興した。天津はこうして洋務運動の基地になった。李鴻章が天津水師学堂と北洋武備学堂を創設したのはその事業の一部であり、のちに袁世凱は小站で新軍を訓練した。そこから出た将校は北洋軍政集団の幹部をなした。津南区の一つの町が共和国全体の政治史に現れるのは、そのためである。
雑誌から
練兵場と田んぼ
北洋の軍を鍛え、天津を代表する米の一つに名を与えた町。
同じ街をめぐる · 津南区 ↗新軍
米
もう一つの評判は農業のもので、ずっと静かだ。市が自らの食を語る記述のなかで、小站稲は天津の風土と気候に帰される産物の一つに挙げられ、同じ一覧には栗、梨、冬菜、白菜、茶淀葡萄、沙窩蘿蔔も並ぶ。北方の直轄市で米を育てるのは自明ではない。町の名が一つの米の品種に付いたという事実は、その作物がどれほど土地に根づいたかを示す。2024年、沙窩蘿蔔は小站稲に次いで国家事業に入る二つ目の天津農業ブランドとされた。小站稲がこの市の産物の目録にどれほど確かに座っているかを量る物差しである。
属する区
小站は津南区の町の一つで、咸水沽、葛沽、双港、辛庄、双橋河、八里台、北閘口とともに区の行政の一覧に記される。津南は1992年に天津の四つの環城区が改称されるまで南郊と呼ばれ、海河下流の西岸で東麗と水を隔てて向き合う。区名の意味はそのまま、天津の南である。2020年の国勢調査では928,066人。この区の新しい身分は教育と関わる。海河教育園、別名北洋園には南開大学と天津大学の新キャンパスが、旧市街と海岸の間の土地に置かれている。