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町の北の米倉

倉から名を得た町、運河のそばの戦国の遺跡、そして移った区の中心。

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建物のような名

中国の地名はたいてい山水を書くが、北倉は建物を書く。北の米倉という意味で、資料は由来を直接に説明する。元の朝廷が北京に都を定めてから、北倉は皇室の米を運ぶ漕運の集散地であり、集落は倉庫から名を得た。米は運河を上って来て、都へ送られる前にどこかに置かれねばならず、ここはその一つだった。町は当時の武清の南にあり、のち天津県へ移され、今は北辰区政府の所在地である。

倉より古い

倉の下の土地は、米の商いより古い。北辰には発掘された遺跡が二つしかなく、その一つが北倉鎮の北運河のほとりで見つかった戦国時代、燕の集落遺跡である。小さな事実だが含みは大きい。元に北倉を倉にした運河は、すでに千年以上人が住んでいた集落のそばを流れていた。もう一つの遺跡も区内にあり、二つで北辰が記録する考古のすべてである。町の河岸は、この区で最も深いことが知られた場所ということになる。

一つの寺と四つの路線

北倉の周りの区は古跡が少なく、あるものは正確に名を挙げる値がある。省級の文物保護単位はただ一つ、大張庄鎮大諸庄の明代の薬王廟である。それに対して、今の区には四つの地下鉄路線、1号、3号、4号、5号が通り、国家級の経済技術開発区と生物園もある。区政府は交通の便のために宜興埠から北倉へ移った。環状区によくある話である。古い町が名を保ち、新しい中心が役所を引き取る。

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