雑誌から

一つの運河に二つの治所

明代に県城を移した県と、やがて区を治めることになった埠頭の村。

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雍奴、泉州、武清

武清は名を幾度も変え、その建置は前漢に遡る。泉州、雍奴、雍陽と呼ばれ、資料は今の名を生んだ変化を記す。唐の天宝元年、旧い県名が廃され、武功廓清の意をとって武清と称した。北魏の太平真君7年には泉州が雍奴に併合されている。武力によって廓清するという意味の名は、この平らな土地が二つの都の間の回廊であったことを思い出させる。回廊は争われる。名は幾度も変わり、地面は同じままだ。

移った治所

県城そのものも動いた。武清は雍奴県の治所を受け継ぎ、初めは泗村店鎮の旧県村にあり、資料は明の初めに現在の城関鎮へ移ったことを記す。その一方で、別の理由からもう一つの集落が育っていた。区の南東の楊村は北運河に沿って築かれ、古い漕糧の埠頭だった。県治は知県が座る所、埠頭は金が動く所であり、運河の経済では後者が前者を追い越しうる。楊村は今、区政府の所在地となっている。

二つの都市の間の真珠

武清は天津で最も北京に近い区であり、資料はその位置を明示する宣伝の名を与える。京津の間の真珠である。西と北は河北の廊坊、北西は北京の通州区に接し、二つの直轄市を結ぶ幹線の上にある。京津城際鉄道に駅があり、京滬鉄道には楊村駅がある。区内には国家級の経済技術開発区があり、2011年の初めに西青とともに昇格した。かつて米の舟に頼っていた県が、今は列車に頼って生きている。

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