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天津が始まった場所

三本の川の出会い、1214年の金の寨、そして1920年代に一キロ動いた合流点。

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三本の川、二つの岸

三岔河口とは三本の水路の口という意味で、その名は正確な説明である。子牙河、南運河、海河が出会う場所であり、海河が始まる点でもある。北岸は河北区に、南岸は紅橋区に属する。この合流点を天津の最も古い発祥の地にしたのは隋の大運河である。南北の運河が結ばれると、積み荷を水路から水路へ移す場所が生まれ、移し替えの地点は町を生んだ。1214年、金の貞祐二年、ここに直沽の寨が築かれ、1316年に元が海津鎮と改めた。

三岔河口
三岔河口

両岸に立つもの

二つの岸は別の歴史を負い、資料はそれを並べて記す。左岸には窯窪の行宮、望海楼教会、李公祠(すでに撤去)、大悲禅院があった。右岸には旧城(撤去)、天后宮、玉皇閣、估衣街(再建)、針市街(撤去)があった。ここには金鋼橋もある。解体されて架け直された、大きな鉄の橋である。並べて読むと、中国の都市が何を残し何を失うかの目録になる。寺と教会は残り、行宮と市場の街は残らず、橋は架け替えられる。

動いた合流点

合流点は元の場所にはない。1901年から1923年の間に、海河工程局は流れを直し、蛇行を切り落とした。その工事ののち、三岔河口は北西へ一キロ近く動いた。三本の川の出会いとして定義される場所が、工事によって変えられた位置で定義されている。名は現在の記述ではなく、古い地理の記録になった。1986年、市に水を引いた引灤入津の記念碑がここに建てられた。天津の最も古い発祥の地は、近代の市の水がめを記念する場所でもある。

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写真の出典と権利情報
  1. 三岔河口KangTyngrwey / CC BY-SA 4.0 · CC BY-SA 4.0 元写真の出典 ↗ 権利情報 ↗