薊州区の中心にあるこの町は、華北のほとんどの土地よりも頻繁に行政上の名を変えてきた。1913年2月、新たな共和国が府を廃すると、薊州は薊県となった。1928年、直隷省が改名されると、県は河北に移った。1930年代から40年代にかけては、日本が後ろ盾となった自治政府、冀東道、燕京道が交代で管轄した。1973年に天津の下に置かれ、2016年6月に国務院が同じ領域のまま薊州区を認めるまで、県のままであった。
薊県が薊州区になったのは2016年。それ以前の六十年、この県は合併し、移され、また分けられた。