零陵古城は永州府の旧治所で、この地域の名のなかではもっとも古い名である。この地は、伝承で南へ旅して九嶷山(くうぎざん)に葬られたとされる皇帝・舜(しゅん)の后妃(ひ)が流した涙に由来して、零陵と呼ばれた。零とは涙の落ちることをいう。湘江の南岸、潇水(しょうすい)の合流点にあり、この合流が府全体に詩的な名前潇湘(しょうしょう)を与えた。周辺の県を治めたのはこの場所からだった。長いあいだこの区画は湖南南部の行政の中心で、県の政を司る出発点であり、二つの川の合流という位置は、古い行政と広東・広西へ向かう道の自然な中心となった。区画の名と府の旧名は同じ言葉なので、零陵は治していた地域そのものでもある。
雑誌から
南の府の旧町
零陵は永州府の治所で、行政の町の街並みを保っている。城壁は紀元前124年に築かれ、漢代長沙国の屯営図が早期の地位を記し、いまは永州市二つの市街区のひとつ。
同じ街をめぐる · 永州市 ↗府の治所
古い行政の町
零陵古城はきわめて古い都市である。城壁が最初に築かれたのは紀元前124年で、現存の記録によれば、城の成立の歴史は湖南の都市のなかでは長沙に次ぎ、およそ2,100年になる。古さは初期の地図に表れている。西漢(紀元前206〜9年)の長沙国の軍屯図が馬王堆漢墓から発見され、そこには零陵に九つの屯営が置かれたことが記され、零陵が国の南境の重要な軍事拠点であったことを示す。零陵という名は隋(581〜618年)の589年、泉陵県が改称されたのを境に県名として使われ、千四百年近く続いた。つまり町は層になっている。漢の屯営、隋の県治、明・清の府城と、それぞれの時代が同じ河畔の集落的街並みに痕を残した。軍屯図は、この地域でもっとも古い町の記録のひとつであり、隋で定められた県名は唐・宋・元・明・清と途切れずに受け継がれた。
旧町と新しい市
零陵はいま、永州市という地級市の二つの市街区のひとつである。現代の行政は、1995年の再編によって旧府を今の市へ組みかえたときに涼水潭区へ移った。区画は古い名と古い町を保っている。1995年、かつての県級永州市は芝山区となり、2005年にその区画が零陵という名を取り戻した。今の区画は人口50万人を超え、面積は約1,962平方キロメートル、潇水が湘江に合流する南岸に伸びている。府の治所は二つの部分からなる市の一方となり、古い行政の町は水の向こう岸の新しい区画と向かい合う。零陵はその名前と街並みに地域の歴史を残している。今の区画は新しい府の所在地である涼水潭区と同一の市をなし、湘江が水の両岸を結びつないでいる。つまり零陵は、舜の時代にこの地域が名乗りつづけた古い名のまま、分割された都市の一方である。

