雑誌から
解放トラックをつくる工場の立ち上げ
解放CA10は、海外研修、ソ連の技術支援、工場での調整を経て生まれた。1956年の新聞報道は試作車10台が組立ラインから技術検査へ進む様子を伝え、第一汽車の技術史は、中国での使用に向けて車種を改良する後年の取り組みを記録する。
文 IFreeing編集部読了約3分中国第一汽車博物館(China FAW Museum) · 長春市
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工場は生産現場とともに人も育てた
中国第一汽車の創立70周年史は、生産能力とともに人材を育てた組織の姿を伝えている。作業員は昼間に働き、夜は学んだ。研修生518人が9班に分かれてソ連のスターリン自動車工場を訪れた。新しい長春工場と、すでに操業していたメーカーを結ぶ経験である。その間、工場では現地の生産準備も続いていた。CA10の歴史は、一台の車が突然完成形で現れたところからではなく、複雑な生産ラインを担う人々の組織的な学びから始まる。
技術支援はトラックの設計だけではなかった
第一汽車の技術センターがまとめた技術史は、工場計画の広い範囲に及ぶソ連の支援を記す。製品の選択、工程計画、工場設計、生産組織、設備の供給・据付、生産調整への助言などが含まれていた。手本となったのはソ連の3MC-150で4トン車だった。同書は、提供された図面がこの車両に近いものだったとする。一方で製品開発そのものはソ連の支援に含まれなかったとも記している。1954年、第一汽車は設計・試験部門を分離した。CA10の生産開始後、その部門が後年の改良計画を担った。
生産開始前にラインを調整する
1956年7月の『人民日報』は、ソ連人専門家の協力を得て1955年8月に始まった生産調整を振り返っている。1,000種類を超える工程設備や工具の調整に加え、自製部品1,800種類超のうち大半が基準を満たしたと報じた。繰り返し生産を実現する前に、機械の設定と現地製造の部品の両方を確認する必要があった。
試作トラック10台がラインから調整室へ
1956年7月14日の新聞は、7月13日に組み立てられた解放トラック試作車10台を報じた。同紙は車名を「解放トラック」と記し、CA10とは呼んでいない。第一汽車の後年の技術史は、同じ生産時期の4トン車としてCA10を特定している。作業員が移動式のラインで部品を組み付け、水と油を入れた後、運転手が一台を調整室に運んだ。設計・工程技術者がエンジンの回転が落ちる音を聞く間、ソ連人専門家2人がエンジンと各部品を調べた。新聞によると、量産前には路上試験と部品試験がまだ残っていた。
最初の車種の後も長春で開発は続く
技術史は、設計部門の次の仕事を生産改良にたどる。信頼性のある車種の価値を保ちながら、CA10を中国での使用により適したものにする必要があった。数年間の使用と調整を経た1960年10月、最初の派生車種の設計が始まったと記録されている。ソ連の支援を得た工場準備から、長春が主導する製品改良への移行によって、最初のトラックが生産に入った後も設計部門の仕事は続いた。
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