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入口に橋のある村

上甘棠村は江永県の周氏による村で、入口には1126年から立つ石橋がある。歩瀛橋は旧郵路を運び、2007年に中国の「歴史文化村」に指定された。

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村の入口の橋

上甘棠村の門口は橋である。歩瀛橋(ぶいんきょう)は村の入口に立ち、三つのアーチを持つ石橋で、1126年、北宋(960〜1127年)の靖康元年に着工した。全長30メートル、幅4.5メートル、水面からアーチの頂まで5メートル。旧郵路がこの川の水面をまたいでいたからで、村は旅人と官庁の使った道の途中にあった。橋は、その道が集落へ入る場所だった。橋の隣には四層の文昌閣(ぶんしょうかく)が立ち、1620年にまず築かれた。下二層は石積み、上二層は木造で、向こう岸の橋に正対する。この二つを合わせると、村の入口は小さな建築の組になる。下に石橋、上に楼閣、その背後には、橋の行き先となる村の街並みが続く。道と建物が、集落の境を示している。楼閣は橋に正対するように建てられ、石積みの台座に木の二層を載せる形である。この二つは、十七世紀の初期から村の門口で並び立っている。

残った村

上甘棠村は一つの姓の村である。周氏一族が数世紀にわたって築き住んだ宗族の集落で、その配置は族がこの土地を長く使った形をそのまま写す。村には祖廟、仲厚祠が残り、門楼、寿亭、河沿いの石壁、碼頭、旧郵路も残る。道と水によって暮らしてきた集落の痕跡である。入口の奥に家屋が続き、村には明(1368〜1644年)・清(1644〜1912年)代の住居176棟がまだ残り、古い建築の延べ面積は合計約2万平方メートルに及ぶ。地域の多くの村が空き家になる時代に、この一族だけは定住を保った家々の村である。族と道と水がいまも明瞭に読み取れる土地である。門楼と寿亭、河沿いの石壁と碼頭は、ともにこの長い定住に帰属し、明と清を通じて町の構造を保った集落の痕跡でもある。

指定された村

2007年、上甘棠村は中国の「歴史文化村」に指定された。国による指定であり、建物一つではなく、村全体を保護する。指定が認めたのは、村が残してきたもの、1126年の橋、1620年の文昌閣、祖廟、門楼、河壁と碼頭、そして門の向こう側にある明・清の家屋176棟である。村は今、年代を公の事実として背負い、橋と古い家屋を見に来る場所になった。この指定は村を中国の歴史ある集落の一角に固定した。現在もここに住む周氏の家族にとって、村は遺産であると同時に故郷であり、何世代も持ち続けた同じ土地である。残った村であり、指定はその残り方を記録している。江永県の一角を一族が長く持ち続けた記録でもある。2007年の国指定は村の名を中国の歴史ある集落のなかに位置づけ、いまは住む人と同じくらい訪れる場所となり、その橋と古い家屋が土地の表の顔になっている。

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