汝城(じゅちょう)は郴州市の南東隅、湖南・広東・江西の境が接する県で、文化的には客家(ハッカ)の地域にあたり、県じゅうで客家語が話される。川は三方向に分かれる。匍江と浙水(しょうすい)は東へ流れ、東江を経て湘江へ、済龍水(せいりゅう)は贛江(かんこう)へ、久龍水(きゅうりゅう)と程江(ていこう)は南へ流れて北江(ほくこう)と珠江へ。県には「一鶏が三県で鳴き、水は三つの川へ流れる」という諺がある。山が県域の五分の四を占め、地形は羅霄山脈の南端の稜線、丘、盆地が交錯するものであり、年間百八十日あまりの雨が降り、無霜期も長い。場所を決めるのは位置であり、三省と三つの水系が接する角である。歴史は、いかなる一つの町よりもこの接点で形づくられた。山は一年のなかの多くの季節の雨を受け、大部分のあいだ霜が降りないので、斜面は緑である。
雑誌から
三省が交わる県
汝城は湖南・広東・江西が交わる境の県で、川は三つの流域へ注ぐ。濂溪書院はかつての県令であった周敦頤を偲びており、県は林業とタングステンと鉄と石炭で成り立つ。
同じ街をめぐる · 郴州市 ↗三重の境の県
県令を偲ぶ書院
県でもっとも有名な建物は、軍人ではなく哲学者を偲んでいる。宋(960〜1279年)時代のはじめ、新儒教の思想家周敦頤(しゅうとんい)は、現在の祁東県と汝城を含む区域を覆っていた桂陽郡の県令を務め、その治績は良好だったと伝えられる。その後、汝城の人民は周敦頤を偲ぶため、彼自身の号、濂溪にちなんで濂溪書院を建てた。書院は世紀をまたいで何度か廃れ再建され、いま県所在地の西に立つものは、民国(1912〜1949年)期の建物の跡に建てられたものである。つまりこの県の記念建造物は、新儒教の基礎を築いた人物への敬意であり、汝城の旧い行政が南の哲学を生んだ同じ学問の世界に属していたこと、そして哲学者がかつて治めた県がいまもなおその名を石で残すことを示す。濂溪という名は、周敦頤が敬意を表した川に由来し、県を哲学者の故郷道県や彼が開いた学派と結びつける。汝城の書院は、この名を冠する中国全国の地のひとつである。
森林、鉱山、温泉
汝城の生業は土地から来る。森林が県域のおよそ七二パーセントを覆い、気候と土壌が樹木に向いているため、湖南の重要な林業基地のひとつである。丘陵の下には鉱物があり、タングステン(ウォルフラム)、鉄、石炭、石灰岩が主な産出物で、タングステンと鉱石の加工が現在の産業の柱になっている。川の流れは急なので、小規模の水力発電が速く成長した。そして大地は熱を帯びている。汝城の熱水鎮(ねっすいちん)は華中南六省の最大の地熱地域を擁し、温泉はエコツーリズムの観光地になった。瑶族(ヤオ族)が人口の一定部分を占め、複数の瑶族郷があり、畲族(シェ族)はさらに少ない。働く境の県であり、その富は木材、鉱石、水と熱にあり、いかなる単一の記念建造物にも依存しない。汝城の温泉は県でもっとも特色のある贈り物で、華中南六省で最大の地熱地域として数えられ、最大の誘引力にもなっている。

