恒山は一つの順位と一つの方位を持つ山である。中国の五岳の枠組みでは北の一座、北岳恒山であり、湖南の南岳衡山と区別される。周代から神山とされてきた。道教が地歩を占める種類の山で、そこの祭祀は山神に向けられた。漢代には山神を祀る北岳廟が中腹に建てられた。非漢族の政権がこの地を握ったとき、祭祀は代わりに曲陽の北岳廟で行われた。
雑誌から
恒山:五岳の一つ
五岳の北岳。山の順位が風景ではなく祭祀で決まること、漢代の廟がどこにあったか、そして祭祀がなぜ曲陽へ移ったか。
同じ街をめぐる · 大同 ↗何が北岳にするのか
山道、そして保養地のない山
登り道には施設が少なく、それがこの場所の性格である。五岳のうちここは面積が最も小さく、開発も最も進んでおらず、訪れる人も最も少なく、山上に宿はない。実際のところ、それは保養地のない山を意味する。建物も灯も少なく、道の両側に店や宿は並ばない。その順位が意味するものは今も残る。山頂は遊興の場ではなく祭祀の場として扱われ、その下の中腹には廟が立つ。麓では、山の脇の崖を刻んで渾源の懸空寺が建つ。
道教の山であって、仏教の山ではない
中国の名山は、その上に何が建つかではなく、何が供えられるかで分類される。恒山は道教の山である。その祭祀は山神に属し、五岳を、中心と四方を持つ地理の体系に仕立てた伝統にも属し、中腹の廟は漢代の国家の造営だった。同じ論理が曲陽への移転も説明する。朝廷がここで礼を行えなくなったとき、祭祀はそこへ移った。この道教の峰の麓では、懸空寺がその景色を複雑にする。三教殿は仏を中に置き、老子と孔子を両脇に配る。