雑誌から

渾源の崖の上の懸空寺

渾源の凹んだ崖に差した梁で支えられる寺。岩が建物のために何をしているか、二十七本の横梁がどう荷を受けるか、そして創建年代がなぜなお論じられるか。

同じ街をめぐる · 大同 ↗

崖はどこにあり、何でできているか

まず崖がある。寺は大同府の渾源県、恒山の山塊に属する翠屏山の中腹の凹んだ面にあり、岩は建物の上で内側へ反る。だから堂は開けた壁ではなく、浅い自然の庇の下に坐す。この凹みがこの場所を成り立たせている理由である。雨は屋根を貫かず庇を伝って流れ、その奥の木は乾いたまま保たれる。寺は地上約七十五メートルに懸かり、岩は高さ三十メートル余りのところにある。1982 年に全国重点文物保護単位に指定された。

建物はどう支えられているか

四十の堂と楼が狭い一帯に沿って岩に連なり、誰もが問うのは、何がそれを保っているかである。答えは背後の岩にある。二十七本の木の横梁、径約五十センチ、桐油を含ませたものが、崖に穿った孔に差し込まれ、それぞれ内端をほぞ継ぎで固定し、床と屋根はその梁から張り出して造られる。下の岩棚まで下りる十数本の柱は主構造ではなく、通路を安定させるものだ。荷は梁にあり、だからこそ堂は廊下ほどの幅しかない面の上に立ち続けている。

いつ建ったか、争点は何か

年代には争いがあり、その争いは古い。北魏の末の 491 年に僧の了然が着工したという説があり、また、同じ 491 年としながら、孝文帝が道士寇謙之の道場をこの崖へ移した皇帝の事業とする説もある。さらに 398 年まで遡り、恒嶺を貫く道を寺の始まりとする説もあり、南宋の年代も根拠を欠いたまま流れている。疑いのないのは実体である。いま立つ建物は明と清の再建になる。寺は 2016 年 5 月まで一般公開されなかった。

探索を続ける · 懸空寺 ↗