湖があるからここに町がある。運城塩湖は中条山の北麓にあり、山西省最大の湖で、世界で三番目に大きい内陸の硫酸ナトリウム型の湖である。154平方キロメートルはいくつかの池と灘からなる。解池、小池、鴨池、湯里灘、北門灘、伍姓湖である。最大は解池で、97平方キロメートル、水面の標高321メートル、端から端まで20.8キロある。この灘では四千年余りにわたり、解塩、潞塩、河東塩の名で塩が採られ、その税はかつて国家収入の重要な一部だった。
雑誌から
運城塩湖の塩田
この地を富ませた湖、鹹水を濃くする蒸発、そして元代の末に塩政が築いた城壁都市。
同じ街をめぐる · 運城 ↗この地を富ませた湖
塩の採り方
湖に注ぐ川はない。近くの唯一の流れである涑水は西の伍姓湖に注ぎ、そこから黄河へ流れ出るため、灘に水を供給するのは流れではなく地下水と天候である。その天候が仕組みそのものになる。年平均気温は13.6度、降水量は559.3ミリ、蒸発量は2,550ミリで、雨のほぼ五倍にあたる。灘に来た水は水蒸気として去り、運んできたものは岩塩と芒硝として残る。湖は天然の塩田であり、その上に立つ産業はいまも化学原料の基地で、行楽の名では中国の死海と呼ばれる。
塩が築いた町
塩の収入は庫を満たしただけでなく、町を生んだ。元の末、至正十六年、1356年、塩運使の那海徳俊のもとで、ここに城壁都市が着工された。初めは鳳凰城と呼ばれ、塩の運搬を司る役所の所在地であったことから運城と改められた。その名は塩の幸運の都ほどの意味になる。市についての英語の記述も同じつながりを述べ、町は元の末に築かれ、塩の幸運の都にちなんで改名されたとする。この灘の塩は古くから重要な財源で、地域の交易路の形にも関わった。