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善化寺:火のあとに建て直された堂

1122 年の攻囲のさなかの火と、1128 年から十四年に及ぶ再建が善化寺を形づくった。遼の堂一つ、金の建物三つ、その王朝で最大の山門、そして清の壁画。

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古城のもう一つの寺

古城の南門の内側で、一つの寺が南寺街の一画を囲っている。これが善化寺で、地元では南寺と呼ばれる。平城区の永泰門の内側の西手にあり、唐の開元のころに始まり、朝廷から開元寺の名を賜った。善化の名になったのは 1445 年である。残っているのは二つの王朝の木造の建物群で、遼の堂一つと金の三つ。1961 年に第一批全国重点文物保護単位に指定され、現在は市の古代建築保護の機関が置かれている。

何が残り、なぜか

火がこの寺の形を説明する。1122 年、金の軍が城を攻めたとき善化寺は焼け、1128 年に僧の釈円満が再建を始め、事業は十四年かかって 1143 年に終わった。今日立つ建物のうち三つはその再建のもので、もう一つ大雄宝殿はより古い十一世紀の遼の堂である。金の時代に建てられた山門は中国に残るその王朝の寺院山門のうち最大で、門には珍しい寄棟の屋根を載せる。二つの楼は現代のものである。普賢閣は第二次世界大戦で失われ 1953 年に再建され、文殊閣は皮革工場に転用されたあと焼け、2008 年に地方政府が建て直した。

大殿の内側の壁画と碑

大殿の内側で年代の分かる層は塑像ではなく彩色である。壁画は 190 平方メートル、1708 年から 1716 年に描かれ、その後の年月に傷んだ。堂は中国に残る仏殿のうち三位にあり、同市の華厳寺の堂と遼寧省義県の奉国寺の堂に次ぐ。その規模が、入口から壁画を読みにくくしている理由である。寺で年号の分かる石は別の場所、三聖殿にあり、西の壁に沿って金の石碑が二基建つ。一つは 1176 年、朱弁の撰文、もう一つは 1190 年で、唐の文人王勃の文を刻む。

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