青蓮寺は沢州県金村鎮、谷を見下ろす斜面に、二つの院を一つの場所として構える。下院は古青蓮寺と呼ばれ、上院が一般に青蓮寺と呼ばれるほうである。名は賜り物だった。867年、唐の咸通八年に朝廷が与え、北宋太平興国三年には上院が福岩寺という第二の名を得たが、最初の名を退けることはなかった。二つの院が収めるのは一続きの層である。唐の塑像、宋の木構と宋塑、いくつかの時期の石碑、そして明の塔。
雑誌から
晋城の丘の上の青蓮寺
沢州県の二つの院に、唐代の塑像六尊、1089年の宋の堂、明の舎利塔が残る。層をたどり、記録の切れるところを示す。
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十三輪の塔
寺の東に、明の万暦二十四年(1596)に建てられた塔が立つ。舎利塔であり、穹窿の塔身の上に十三の輪が重なる。晋城の記録は、この地方で唯一のチベット式の塔とする。地元の話はもう一つの区別を加える。夏至には塔が影を落とさないといい、無影塔の名が定着した。その言が成り立つかは、正しい日に訪ねるほかない。確かなのは形で、この谷のどこにも似たものがない。
記録が定めないこと
古い仕事は下院にある。弥勒殿には唐の塑像が六尊残り、中国に残る三組の唐代寺院塑像の一つで、合わせて七十余尊になる。本尊は高さ4.2メートル、両脚を垂らし、そのなかで唯一の倚坐の弥勒と記される。上院では釈迦殿が1089年に建てられ、桁行三間で幅11.93メートル、梁間六架で奥行11.13メートル、一重の九脊屋根の下に四メートルの仏が坐る。記録が開いたままにするのは創建である。寺は唐の名より古いが、867年以前の年は定まらない。