雑誌から

竹からつくる紙

耒陽は製紙を発明した蔡倫の故郷で、何世紀も書きものの紙をつくってきた。紙は地元の高岭土と孟宗竹に支えられ、需要に応え、町はいまも「紙の都」を名乗る。

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紙をつくる手

耒陽の紙は、土地がみはせるものの上に成り立っている。都市は衡陽盆地の南縁にあり、白い粘土の層が厚く、山には孟宗竹(もうそうちく)のほかに杉や松、油茶が自生し、いずれも県的林産物に数えられる。町の主張は製紙そのもので、耒陽は製紙術を発明したとされる漢(紀元前202〜紀元後220年)代の官僚蔡倫(さいりん)の故郷である。中国四大発明のひとつ。都市は二千年以上の歴史をもつ耒水(らいすい)沿いの古県で、川はいまも市中を流れている。この出発点から町は今日まで続く製紙産業を組み上げ、耒陽はいまも製紙の中心として知られる。紙そのものは土地の産である。紙の填料になる粘土と、繊維になる竹は地元で採れ、植物の繊維を文字を書きつける面に変えたとされる男の名が、その上に重なっている。県所在地はいまも、名前の由来となる耒水の北岸に立っている。

紙は何のために使われたか

製紙は中国四大発明のひとつであり、文字に安くて携帯のできる面を与えた技術である。耒陽がこれを主張することは、その歴史のなかに自分の居場所があると言い張ることにほかならない。蔡倫(さいりん)はこの技術を発明した人物として記憶され、町はそのたったひとつの成果にアイデンティティを組み立て「紙の都」を名乗った。町が生産した紙は、書くための材を求める長期の需要に応え、産業は数百年のあいだ耒陽の名前を結びつけてきた。原料の粘土と竹はいまも地元で、製紙は衡陽が製造業として列挙するもののひとつで、化学工業、紡織、加工食品と並ぶ。紙の使い道は要するに文字の使い道であり、耒陽はそれを供給して生計を立ててきた。紙の知名度には詩人杜甫(とふ)も引き寄せられた。旅の途中で耒水(らいすい)の近くで亡くなり、まずその地へ葬られたと伝えられる。だから県は、製紙者の廟のそばに杜甫の墓を保っている。

小さな町の技術

耒陽は製紙者の名を公共空間に残している。蔡倫記念公園はかつて舞台のあった場所で、夕暮れには町の人々が集まる。蔡倫竹海は竹林の連なりで、発明者の名を街の自然景に折りこめる。製紙そのものは産業として続いており、地元の粘土に支えられ、湖南省内でも有数の産地である。この働く産業のまわりで、蔡倫の記憶は手入れされている。市は自らを紙の都であり千年の古県であると位置づけ、人物は町のものと主張される。町の最近の名は海をこえて、作家R・F・クアンの家が耒陽に根をもつことをさかのぼっている。技術とは、一枚の紙をつくることだけではなく、名前を守ることでもある。湖南の小さな町が、自らが最初に紙を世界に与えたという発明者を、どれほど大事に持ってきたかの記録でもある。発明者に因んだ発明者広場は、町でもっとも広い広場のひとつで、子どもはスケート、老人は語らいに使う。

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