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賃金票と鉱業所史から見る遼源の炭鉱記録
牛世清のものとされる賃金票と1942年の鉱業所史が、遼源の炭鉱の過去を伝える。公式資料によれば、発掘は1963年、一般公開は1964年、展示館の更新は2015年。
文 IFreeing編集部読了約2分遼源鉱夫墓地記念館 · 遼源市
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発掘から展示の刷新へ
公式資料は鉱夫墓の歩みを別々の節目として記している。2016年の政府告示によれば、発掘は1963年9月に始まり、遺跡は1964年に一般公開された。吉林省の文化主管部門による2017年の紹介は、初期の展示施設が1966年に設けられ、展示館が2015年に改修・再開館したと記す。後年の紹介では、展示は「炭鉱都市」「鉱山の占領」「鉱夫の暮らし」「採掘活動」「解放」「追悼」の六つのテーマで構成される。順に見ると、産業の環境から鉱夫の暮らしへ、さらに鉱山労働から遺跡の後世の記憶へと移っていく。各節目は、発掘、最初の一般公開、展示館の後の変更という別々の段階を示す。六つのテーマに沿って、単独の品物だけでなく、鉱山とそこで働いた人々の歴史をたどることができる。
ある鉱夫の賃金票
中国国家博物館は、遼源鉱の労働者だった牛世清のものとされる賃金票を紹介している。説明によれば、票は鉱夫の集団墓地で亡くなった鉱夫の遺骨の中から発見された。博物館は、票に仕事、賃金、控除が記録されていると説明し、炭田の歴史のなかに一人の労働者の名前と会計文書を位置づけている。賃金票は一か月の労働を、鉱山の帳簿が用いた項目にまとめる。紙に記録は残るが、それ以外の人生まではわからない。票は仕事を鉱山が数えられる記録に変え、名前のある労働者を個人として浮かび上がらせるが、その人の生涯すべてを語るものではない。
鉱業所の十年史
CiNiiは、日本語の書籍『西安礦業所十年史』を、滿洲炭礦株式會社西安礦業所が1942年9月に刊行したものとして目録に記載している。ページ数は595、6、16ページ、図版36枚とされる。これらの情報は、遼源の占領期の炭鉱史に関わる時期に企業が刊行した本であることを示す。CiNiiの記録から、書名、発行所、日付、物理的な書誌情報を確認できる。題名は十年史であることを示すが、目録記録から本の内容まではわからない。対照が見えてくる。賃金票は一人の労働者の賃金を記録し、鉱業所の本は企業の十年史として刊行された。個人の記録と組織の出版物という異なる文書の尺度を示している。
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