張壁古堡は張壁村とも呼ばれ、山西介休の龍鳳鎮張壁村にある。2006年に第六批全国重点文物保護単位の一部として指定されたとき、保護されたのは単体の記念物ではなく一つの村だった。城壁は「凸」の字の形をし、北辺が前に張り出し、東西374メートル、南北244メートル、北門には甕城がある。三方を溝が囲み、残る一方は黄土の台地に寄りかかるので、防御の半分は地形が担っている。創建の年代は不明で、伝承では隋の劉武周に帰されるが、この地の記述はそれを伝承として丁寧に示している。
雑誌から
張壁:地下のために城を構えた村
介休の城壁に囲まれた村。一枚の切石の街路の下に三層の地道が走り、2006年から国の保護を受け、今も地元の語りで説明される。
同じ街をめぐる · 晋中 ↗壁に囲まれた村
村の下の通路
古堡の中央を一本の街路が南北に通り、切石が敷かれ、その両側に家と祠が並ぶ。可汗廟、空王仏と呼ばれる仏堂、三大士殿、二郎廟、真武廟、関帝廟、そして明清の家が数十軒。その街路の下は空洞である。村についての記述も地元の語りも、古堡の下に三層の地道が走ると伝え、その数字は調査と同じくらい地元の語りに属している。平面から確かなのは、通路の体系が街路と家の脇ではなく下にあることで、村は自分の防御の上に立っている。
通路の内側に立つ
通路の一つに立つことは、村のなかではなく村の下に立つことである。地道は古堡の下に掘られ、遺跡についての記述も地元の語りも三層と伝える。その数字はここでも与えられたまま、地下についての地元の説明として繰り返しておく。記述が確かに支えるのは、上の集落の形である。壁に囲まれた村、切石の街路、北門の甕城、可汗廟や空王仏殿などの祠、そして土地の縁に沿う壁の内側に詰まった明清の家が数十軒。2006年からこの場所は国の保護下にあり、歩ける範囲もその保護のもとで定められている。上の路地が今の姿である理由も、そこにある。