清朝末期、台中は省都の候補地となり、1880年代に城壁都市の建設が始まった。その後、省都は台北へ移り、計画の一部だけが形になった。日本統治時代には行政都市として再び計画され、1900年以降、街路の整備とともに柳川、緑川など市内の水路が整えられた。公園や公共施設、駅の用地も配置され、現在の碁盤目状の街区にその計画が残る。
雑誌から
建てられる前に描かれた都市
台中の旧市街はいまも日本統治時代の計画に従っている。まっすぐな街路、運河、屋根のある市場。碁盤の目そのものが歴史である。
同じ街をめぐる · 台中 ↗離れていった省都
第二市場
第二市場は日本統治時代に旧市街に開かれた、煉瓦造りで屋根のある市場である。屋台は中央のホールを囲むように並び、屋根が通路に雨を入れない。いまも市場であり、果物、魚、乾物、惣菜、そして何世代も同じ家族が営む小さな店が並ぶ。建物は低く、通路は細く、光は上から差し込む。周囲の街路には美徳や季節の名が付けられており、政権が変わっても残った日本の碁盤の目の習慣である。市場がいちばん賑わうのは朝で、周りの店がまだシャッターを上げているころだ。
戻ってきた運河
台中中心部には柳川と緑川という二つの川が流れる。整備された川沿いには遊歩道や公共空間が続き、旧市街の街路とともに日々の風景を形づくっている。


