港が埋まる前、台南は運河の町だった。五条の水路が海から内陸へ走り、船を商業地区へ運び、その周辺は府城で最も賑やかな場所になった。今日の神農街の東半分にあたる北勢街は、南勢港の北にあることから名づけられた。通りは歩くためではなく商いのために整えられ、家は間口が狭く奥が深く、路地に店を開き、その上を倉庫とした。水路が埋まり商いが移っても、通りは水が与えた形を保っている。
雑誌から
埋もれた運河の上の路地
神農街は五条港沿いの商いの通りだった。水は消えたが、木造町家と埠頭労働者の廟は残る。
同じ街をめぐる · 台南 ↗五条の水路、一本の通り
一階に店、二階に蔵
神農街の家屋は主に木と煉瓦の二階建てで、瓦屋根と木の扉を持つ。一階は路地に直接開き、二階は急な階段で上がる蔵だった。多くの建物は建て替えではなく補修され、この通りは台南中心部で最もよく残る旧路地の一つである。この二十年で一部はカフェ、酒場、画廊、小さな工房になり、表に連なる提灯が夕暮れに灯る。何より人が住む通りであり、住人は訪れる人に声を控えるよう願っている。
埠頭労働者の廟
金華府は街上に立ち、水路で船荷を降ろす労働者たちの信仰の中心だった。間口の狭い小さな廟で、内部は暗く、この界隈を築いた商いの痕跡をいまもとどめる。通りの西端には薬王廟があり、神農街という現在の名はこの廟に由来する。数ブロック先の五条港文化園区は、舗装と案内板でかつての水路を示している。運河そのものは道路の下にあり、通りの名は今もその流れをたどっている。



