余暇の絵から地域の動きへ 文化部が転載した《China Culture Daily》の2012年報道は、東豊農民画の始まりを1970年代にたどる。農閑期に黒板や宣伝ポスターの画風を紙へ応用し始めた若い農家の一人として、Li Junmin、Li Junjie、Zhang Yuyan、姚凤林(Yao Fenglin)の名を挙げている。学校や美術院が始めた活動ではなく、村の暮らしを伝える視覚資料をすでに作っていた人々が、別の表現面として紙を試し始めた集団的な実践だった。

後年の研修によって、姚鳳林の非公式な出発点は地域の指導者と結びついた。CCTVの特集によると、彼は小学校卒業後に秀水文化站(地域の文化活動施設)で学び、Li Junjieの指導を受けながら初期の作品を描いた。二つの記録は、姚鳳林をより広い作り手の輪のなかに位置づけたうえで、個人の歩みも追っている。一人の画家が東豊農民画を創始したと主張するものではない。

県立画館が作品の公開の場をつくる 東豊の農民画館が2011年に開館した際、同時代の報道は、春の耕起、秋の収穫、村の暮らしの変化を描いた作品を紹介した。農業の一年が、畑の準備、種まき、作物の世話、収穫まで目に見える形になる。村の変化を描く画面には繰り返される農作業も並び、日常と移り変わりの両方を残す。

省の画廊・美術館一覧には、制作、展示、販売、研修という同施設の機能が記録されている。制作と発表が一つの県立施設に集まったことは、この表現の発展に関わる。農村の仕事を題材にした絵は、地域の文化活動施設や工房から展示空間へ移り、地域の人々が芸術作品として出会う機会を得た。画館が果たすのは制度上の役割であり、個々の絵がすべての農家や村を代表するという意味ではない。

完成作の前に描かれたスケッチ 1983年の課題は、姚鳳林の研修を地元の手仕事と結びつけた。秀水文化站(地域の文化活動施設)の教師は、産業の再興に関わるテーマとして「八仙過海、各顕神通」を与えた。姚鳳林は自転車で県内の工房を訪ね、職人の仕事を見ながらスケッチや聞き取りメモを作った。CCTVの特集によると、半月ほどでスケッチ約300枚と、代表的な職人8人について数千字に及ぶ記録をまとめた。

その記録が、作品を制作するための素材になった。工房を訪ねて職人一人ひとりの姿勢、道具、手の動きを写し、素描だけでは残せない細部をメモで補った。資料によれば、姚鳳林は完成作の制作に2か月をかけ、細密な筆線を用いる工筆・重彩の技法を使った。単一の工房の一瞬を写すのではなく、観察を構図へ移し、複数の職人を一つの画面に描いた。

県の取り組みから地域の文化施設へ 東豊農民画館は2011年10月に設立された。2017年の省の名簿には、創作、展示、財務、販売、管理の各部門が記載されている。同項目にはまた、2014年に省級の専門・技術人材向け継続教育拠点に指定されたことと、教育実践拠点も記録されている。これらの日付入りの記録は、地元の農民画が制作・展示の場を得たことを、芸術家が学び実践した文化ステーションと併せて示している。

省の一覧によれば、2012年に画館は東豊で初めての全国農民画展を開催した。翌年には、中国農民書画研究会が東豊の拠点に指定した。制度の歴史が示すのは、芸術が観光や販売と同じものになったということではない。県が制作、展示、教育の構造を整えていった記録である。姚鳳林の工房スケッチと画館の展示は、その発展の異なる段階を伝えている。