岱廟の起源は漢代で、皇帝の祭祀は前110年の漢武帝に始まる。たいてい二千年のあいだ、山上の封禅と麓での祭祀は一つの行為として続いていた。それが途切れたのは1008年で、この年は同時に造営の起点になった。宋の真宗は群臣を率いて泰山に登り封禅の儀を執り尽くし、翌年、廟を拡張して古い山神祠の上に新しい殿を建てた。祭壇のまわりには参詣者に養われる集落が集まり、まちとして成長した。1162年には土築きの城壁がまちと廟を一緒に囲んだ。明の年代に石で建て直され、1553年に全長4キロメートルで完成した。岱廟は1988年に全国重点文物保護単位に選ばれた。
雑誌から
山の下で見張る廟
岱廟は山神を軸に築かれた,本身で一つの都市である。その大殿は中国で最も重要な三つの木造大殿の一つ。
同じ街をめぐる · 泰安 ↗祭壇のまわりに生まれた町
九間、五進、二十二メートル
主殿は天貺殿で、東岳大帝すなわち泰山神そのものを祀る。東西43.67メートル、南北48.7メートル、高さ22.3メートルで、幅九間、奥行五間。屋根は黄色の琉璃瓦で覆われ、皇帝の宮殿だけに許された色である。この広さとこの屋根が、中国の建築家たちは長い間、北京の太和殿と曲阜の大成殿とを「三大殿」として数えてきた。殿名には伝説が宿る。宋の皇帝がこの殿を賜ったという。瓦の下の部屋は今も使われる廟で、内壁には泰山神の出行を描く大壁画があり、長さ62メートル、高さ3.30メートルにおよぶ。
石、古木、そして一篇の古い刻石
岱廟は10万平方メートルを占め、泰山に現存する最大規模の古建築群である。内部には泰山刻石がある。秦始皇の丞相で始皇帝に仕えた李斯の篆書によるもので、原石が後世の模刻ではなく元の場所に残る数少ない秦代刻石の一つである。秦漢以降の碑碣と刻石は211基を数え、古木は200本を超える。その中には漢代に植えたという柏や唐代の槐がある。ただし最初に目にされるのは建築そのものだ。中庭、門、屋根が、山を指す一本の軸線に沿って並ぶ。外門から見れば泰山の南面全体が殿宇の上に一続きで並び、建築と山が同じ一文のように読める。
