楼は忻州代県の県城、上館で旧市街の大通りが交わる所に立つ。最初の楼は1374年、洪武七年に明の将軍、吉安侯陸亨によって建てられ、靖辺楼と名づけられた。その建物は高さおよそ十メートルだった。1471年、火災がこれを壊した。劉寵と蔡麟が高台の上に再建し、1476年に完成して、いまも用いられる辺靖楼の名を得た。現在の楼は高さ四十メートル、煉瓦と木で、中国に残る最大の木造鼓楼とされる。煉瓦の基壇は高さ十三メートル、東西43.3メートル、南北33.3メートル、高さ九メートルの石のアーチが貫く。
雑誌から
代県の旧市街を見下ろす楼
代県の旧市街、大通りの交わる所の鼓楼。1470年代の火災と再建、現在の構造の大きさ、そして三関を語る匾額が主張していたこと。
同じ街をめぐる · 忻州 ↗県城とその楼
太鼓の意味
鼓楼は時を知らせ、異変を告げる道具であり、この楼は見張りと太鼓による合図のために建てられた。城壁に囲まれた町の最も高い所に立ち、そこから北は雁門へ、南は滹沱河の先まで見渡せた。その位置が楼を時計以上のものにした。三関の防衛体系の指揮の中心である。その主張は建物に書かれている。北面には「威震三関」と大書した匾額が掛かり、1733年、雍正十一年に知府の楊弘志が掲げた。三関とは雁門、寧武、偏頭である。楼にはさらに二つの匾額が掛かり、一つは「雁門第一楼」と読み、もう一つは太鼓の音が四方に届くと唱えている。
楼の上から
楼上の回廊からは古い地理がなお読める。下に城壁に囲まれた町、南のどこかに滹沱河、北には雁門へ向かう山並み。楼の中には郷土の博物館もあり、展示の一つに高さ1.9メートルの石灯籠がある。720年ごろ、東の仏教の山、五台山の形に刻まれたもので、巡礼の景観全体を一つの石に写し取った小さな品だ。建物は2001年6月25日、第五批の全国重点文物保護単位に5-235号として加えられた。代県には車で少しの範囲に二つが残る。町のこの楼と、北の山の関である。