最盛期の関城は四面に門を持ち、門の外に甕城があった。城壁に囲まれた区画で、最初の扉を破った者を閉じ込める。門の上には箭楼が立つ。東は鎮東楼、東を鎮める意、西は迎恩、南は望洋、海を望む意、北は威遠、遠きを畏する意である。東南角の楼は靖辺楼、辺りを静める意で、1479年、1587年、1591年に修復された。
東門の両側には三つの二階建ての付楼、臨閭・牧営・新が防備を強めた。城内の中央には鐘鼓楼が立ち、最初は中央のわずかに北に建てられ、1471年に修復され、1586年に中央へ移され、1611年に上層を除かれて一階建てとなった。
甕城は軍事的なだけではなかった。東の区画には関帝を祀る廟と陳公祠、西には別の関帝廟と忠臣の祠、南には福を増す神・増福の廟、北には薬王の廟があった。名を負うのは東門である。鎮東楼の上層北側の軒下に、天下第一関と書いた額が掛かっていた。
