鹿港の名はオランダ時代の鹿皮交易に由来し、当時、港は鹿の港として知られていた。十八世紀には交易は米、布、陶磁器に変わり、町は台湾中部の主要な港になった。最盛期はふつう1785年から1845年とされ、人口は約二万人に達し、台南に次ぐ第二の都市だった。商人の家々は細い街路に沿って長い町家を建て、港の岸壁には倉庫が並んだ。その時代の富は、同じ商人たちが寄進した寺にいまも見ることができる。
雑誌から
海を失った港
1800年、鹿港は台湾で二番目に大きな町だった。港は土砂で埋まったが、古い路地は今も残っている。
同じ街をめぐる · 彰化 ↗鹿皮と米
港、鉄道、古い路地
19世紀、鹿港の港は少しずつ土砂で埋まり、のちに敷かれた縦貫鉄道も町を通らなかった。行政中心地を結ぶ計画では地形や河川の渡り方も考慮され、主要ルートは鹿港の外を通った。古い路地には、港町だった頃のコンパクトな町並みが残る。
路地と工芸
旧市街は路地の濃密な網目で、煉瓦の壁、木の店先、角ごとの寺がある。1738年に創建された龍山寺はそのなかでも最良で、石の龍柱と、本堂に向かう戯台を持つ。媽祖を祀る天后宮は中山路にあり、島でもっとも重要な媽祖廟のひとつである。町は食べ物でも知られる。牡蠣のオムレツ、牛舌餅、そして玉珍齋の菓子である。職人はいまも木を彫り、灯籠を作り、ブリキを扱う。泉州から伝わった南管はいまも演奏され、細い街路はゆっくり歩くのがいちばんよい。

