1972年、臨沂の郊外の銀雀山にある漢墓が開かれた。その内部で、竹の札に刻まれた『孫子の兵法』が見つかった。同じ材料に手書きされた他の古典も同じように出土している。この発見は共和国成立以来中国の十大考古学発見の一つに数えられる。竹簡そのものは現在山東省博物館で展示されている。出土地点の近くにも文字は展示されている。臨沂の中心部には博物館があり、戦国時代の原始竹簡を収蔵する。二つの収蔵が共有するのは素材そのものである。竹の文字は重く脆く、地下が乾燥し撹乱されていない場所にしか残らない。だから都市の端の斜面が、いかなる図書館も印字しなかったものを保持できる。
雑誌から
竹から出てきた本文
1972年、銀雀山の漢墓から竹簡本の『孫子の兵法』が出土した。その文字は今も出土した県に残っている。
同じ街をめぐる · 臨沂 ↗1972年に出てきたもの
三百の遺跡と、書道家の出生地
臨沂には名の付いた遺跡が三百以上あり、そのうち数か所は竹簡と同じ性格のものを宿している。王羲之の故居、顔真卿の故里、市内自身の孔廟、荀子の墓、汉画像石を刻んだ古墓、漢闕、馬陵の古戦場、穆陵関の斉長城、そして馬鬐山で紅襖軍が蜂起した旧跡。種類もばらばらである。旧居があり、廟があり、墓があり、関所があり、戦場がある。この都市の記録に残る歴史は2,400年に及び、この街に結びつく人物の名には諸葛亮や東晋の書道家王羲之もある。中心部やや北には王羲之の出生地の上にある公園があり、中心部には竹簡博物館がある。数街区を隔てた二つの小さな場所は、一方が手書きの伝統を守り、他方が墓から返ってきたものを守る。

