漢口という名は、漢江が長江に合流する河口に由来します。ここは川の合流点であり、海への出口ではありません。水運の交わりにより、この町は19世紀に条約港として発展する以前から重要な商業地でした。漢口、漢陽、武昌は現在、武漢の歴史ある三鎮を形づくり、それぞれが二つの川と異なる関係をもっています。
雑誌から
河港を見下ろす時計塔
漢口では、漢江と長江の合流点、旧租界、1924年完成の江漢関が、港町の移り変わる街並みを伝えています。
同じ街をめぐる · 武漢 ↗
漢江が長江に合流する場所
交易が建物を残す
漢口の川沿いには、イギリス、ロシア、フランス、ドイツ、日本の租界が形成されました。銀行や商業施設、宗教施設、旧領事館が、通りに多様な建築の表情を与えています。これらの建物は、外国人の特権と商業の拡大をめぐる歴史の一部を伝えています。用途を一つずつ読み解くほうが、一様な「外国人街」を想像したり、すべての建物が港の開港と同時期だと考えたりするより、実情が見えてきます。
港より新しい時計
江漢路の川側に残る江漢関は、1924年1月21日に完成しました。時計塔は河岸のなじみ深い目印となり、建物はのちに博物館になりました。正面に広がる港には、すでに長い商業の歴史がありました。通りの高いところに設けられた時計は、賑わう街に共通の時刻をもたらし、現在の建物は税関業務に関する部屋や記録を伝えています。

