崇慶寺は長子県色頭鎮琚村の北、紫雲山の中腹にある。東北、北、西の三方を丘が閉ざし、南は地面が下がって濁漳河の支流、陶清河へ向かう。寺はその開けた側に面している。参道というより登り道で、建物は一つずつ現れる。北宋大中祥符九年(1016)の創建で、明と清に拡張された。1996年11月20日、国務院が第四批全国重点文物保護単位として公布した。
雑誌から
長治の山あいの崇慶寺
長子県の斜面、1016年の創建。宋の堂に宋塑が残り、壁一面の小仏と十八羅漢が宋塑の頂点と評される。
同じ街をめぐる · 長治 ↗谷を上がって寺へ
堂とその塑像
正殿の千仏殿が宋の建物で、壇の塑像は宋の作である。名は、壁がかつて何を載せていたかを伝える。内部に塑ねられた小仏の列で、西壁だけでも二百体が残る。西配殿の大士殿には別の一群がある。観音、文殊、普賢がそれぞれ獣の上に並び、壇の下には元豊二年(1079)の銘がある。その堂に沿って十八羅漢が立ち、彫刻家の銭紹武はこれを宋塑の頂点と呼んだ。
谷の様子
小さい堂がこの場所の年代を語る。天王殿と地蔵殿は明、残りは清で、院落を歩くことは、一つの時代ではなく再建の積み重ねを歩くことになる。谷が静けさを説明する。三方を丘が閉ざし、開いているのは川に面した一方向だけである。その地形は現代の観客にも用いられた。ゲーム『黒神話:悟空』の十殿閻羅の場面はこの寺で撮影され、以来、宋ではなくゲームを目当てに来た人々が塑像を見ている。