1051年から1107年まで生きた米芾は、宋代の書家、画家、鑑識家として記憶されています。襄陽との結びつきにより、都市の文化的記憶を担う重要な人物となりました。筆づかいや収集、文人・芸術家どうしの交流が、彼の芸術世界を形づくっていました。
雑誌から
石に伝わる米芾の筆
樊城の米公祠では、中庭や刻まれた書が、後世の模写と記憶の営みを通じて、宋代の芸術家の評判を守っています。
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名の背後にいる書家
漢江北岸、樊城の祠
米芾を祀る米公祠は、漢江の北岸、樊城にあります。中庭や堂が連なり、記憶された書に向き合う空間を形づくっています。この施設が整ったのは米芾の没後で、後代に拡張、再建されました。建築が刻まれた書に出会う場をつくります。次の中庭へ移る前に、文字をじっくり眺め、写し、記憶することができます。
墨跡を刻字へ移す
石に刻まれた書は筆の動きを石に移し、拓本や後世の模写を通じて伝えます。墨池の記憶は、繰り返し練習したという物語を、そうした物質的な歴史に加えます。この祠を訪れたら、書や模写、芸術家の記憶のされ方に目を向けてみましょう。三遊洞の石刻も、文学の痕跡が保存され、再び刻まれた別の場所です。
