武昌の蛇山南、閲馬場近くにある赤レンガの建物は、湖北省諮議局の庁舎として建てられました。左右対称の正面と議場は、清朝末期に試みられた省レベルの政治制度に属するものでした。主棟の色から、紅楼という通称が生まれました。革命との結びつきは、建物の完成後に加わったものです。
雑誌から
紅楼と辛亥革命の日々
武昌の紅楼は、省諮議局から1911年の軍政府庁舎へ、そして記念博物館へと役割を変えてきました。
同じ街をめぐる · 武漢 ↗
記念館となる前
ある夜、そして新政府
武昌起義は1911年10月10日の夜に始まりました。翌11日、かつての議場に湖北軍政府が置かれました。この蜂起は、清朝の終焉へとつながる辛亥革命全体の決定的な出来事となりました。蜂起が起きた夜と、翌日の政府成立を分けて捉えると、革命のすべてがこの建物から始まったとするより、その役割が明確になります。
用途の変遷を伝える部屋
蜂起から七十年を迎えた1981年、記念館が開館しました。展示と復元された空間は、建物が議場として使われた時代と、軍政府が置かれた時代を結びつけています。同じ正面が、異なる公的権力の姿を見つめてきました。室内の部屋や文書、展示をたどると、辛亥革命の大きな流れを建物の規模で追うことができます。

