天后廟は戴一族が建立し、管理してきたが、正確な創建年は分かっていない。香港政府観光局は一族に伝わる話を紹介している。祖先が船で銅鑼湾に来て、香炉に似た赤い石を見つけ、海の女神から授かったものと考えて岸辺に小さな祠を建てたという。祠は人々の支持を集め、やがて廟へと発展した。1747年鋳造の鐘と、1868年の修復を記す銘文が、この家族の記憶に物質的な年代を与えている。
雑誌から
天后廟と銅鑼湾の旧海岸
銅鑼湾の天后廟には1747年鋳造の鐘が残り、かつて寺が海岸に面していた記憶も伝わる。
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戴一族と海辺の廟
海岸が廟の入口にあった頃
埋め立て以前、廟は海辺にあり、漁師や船乗りは船で廟の入口まで来ることができた。その後、海岸線は移動し、今では密集した市街地の中に廟が立つ。天后は海に関わる人々の守護神として信仰される。港が廟のすぐ前にない現在も、海との結びつきはこの場所の性格に残っている。戴一族が船で渡り、岸辺に祠を建てた話が、かつての海岸との関係を具体的に伝える。
堂内と屋根を見つめる
二つの殿からなる廟では、天后が主殿中央に祀られ、脇殿にも別の神々の祭壇がある。屋根の棟や壁には石湾陶塑が飾られ、龍や伝統劇の人物、さまざまな装飾模様を見ることができる。鐘、修復銘文、陶塑はそれぞれ異なる記憶を伝える。器物の年代、修繕の時期、装飾の技術である。戴一族は現在も廟を管理しており、1982年に法定古蹟に指定された。
