清源山の麓にある老子坐像は、巨大でありながら落ち着いている。体は岩に身を預け、一方の手を台に、もう一方を膝に置く。大きさは印象的だが、姿勢は力みよりも静かな安定に目を向けさせる。巨大な石像が風景の中心になる、独特のあり方である。
宋代の作で、高さは5メートルを超える。泉州の歴史的市街の北、山の南麓にある大きな自然石から彫り出された。その由来は、像との出会い方に関わる。完成品を庭へ運び入れたわけではない。山が彫刻の体を供給しているため、人物と周囲との境目を見ることがとりわけ面白い。
雑誌から
泉州の北の山裾に座る大きな老子像。自然の岩が彫刻、風景、道家思想の出会う場所になる。
同じ街をめぐる · 泉州 ↗清源山の麓にある老子坐像は、巨大でありながら落ち着いている。体は岩に身を預け、一方の手を台に、もう一方を膝に置く。大きさは印象的だが、姿勢は力みよりも静かな安定に目を向けさせる。巨大な石像が風景の中心になる、独特のあり方である。
宋代の作で、高さは5メートルを超える。泉州の歴史的市街の北、山の南麓にある大きな自然石から彫り出された。その由来は、像との出会い方に関わる。完成品を庭へ運び入れたわけではない。山が彫刻の体を供給しているため、人物と周囲との境目を見ることがとりわけ面白い。
老子は、道家思想の中心的な書物の一つ『道徳経』と伝統的に結びつけられる人物である。宗教としての道教では神格も持ち、「老君」という尊称で親しまれる。そのため当地の名「老君岩」は、この像を哲学の歴史とともに宗教の世界にも位置づけている。
これらの重なる役割を覚えておくとよい。文章から、信仰から、あるいは彫刻の視覚的な力から、この人物に出会うことができる。像を格言の挿絵に還元する必要はない。大きさ、姿勢、場所は、それ自体で働いている。悠然とした体は、道教史のすべてを学ばなくても、力と抑制、人の活動と大きな風景との関係を考えるきっかけになる。
衣の縁、座る場所、体の量塊が下の岩と接する部分など、人間の形が次第に曖昧になる箇所を見る。彫刻とは、何を削り、何を残すかという判断の積み重ねだ。ここでは、元の岩の大きな塊が像の存在感を支えている。彫られた人物の後ろに、山が消えてしまったわけではない。
顔を見る距離と、全身を見る距離は異なる。全体としては風景の目印であり、細部としては加工された面と注意深く整えた比率の集まりになる。一度に全体を捉えようとするより、その二つの視点を行き来するほうが豊かだ。右手の下の台と、そこに施された雲の装飾は、大きく一見単純な構図の中に、さらに小さな手仕事の尺度を加えている。
ユネスコの構成資産は「老子像」であり、清源山の環境の中にある特定の記念物である。山のすべての道、施設、展望地点が中世の構成資産になるわけではない。この範囲の明確さによって泉州とのつながりも見えやすくなる。海港都市には、内陸側の縁にも宗教と文化の風景があった。
公式な遺産解説によれば、像は南の都市と港に向いている。この向きは、外へ開く都市として描かれがちな泉州に、別の視点を添える。品物と人を海外へ送り出す都市も、山を仰ぎ、地元の聖地を育み、中国に深く根ざす思想に形を与えていた。静かに座る像は、その広い眺めに属する。ここの海洋史には動きだけでなく静けさがあり、都市の先の水だけでなく、都市の上の岩もある。