津菜は一つの伝統ではなく、いくつもの伝統が並んでいる。漢族の料理、回族の料理、公館の料理、精進料理に、さまざまな小吃を加えた体系であり、市の成り立ちを映す。運河の港でムスリムの住民が多く、私的な厨房を持てるほど豊かな商人がいて、独自の食の決まりを持つ仏教と道教の施設があった。特徴は川と海の魚介で、流行ではなく地理から来ている。英語の記述は、料理が粗、細、高の三つの流儀に分かれると添える。都市の食は一つの献立ではないという、有用な注意である。
雑誌から
川の都市の料理
勺、手首、三つの基本の技、そして味を決める三つの調味料。
同じ街をめぐる · 和平区 ↗四つの厨房
勺と手首
技は異例に精密に語られる。天津の料理は勺扒、軟溜、爆炒、蒸しに最も強く、料理人は大翻勺、吊湯、炒糖色の三つを基本の技としてきた。いずれも献立ではなく、体の操作である。大翻勺は道具ではなく鍋を動かして具を返し、吊湯はスープを煮詰めて素材にまとわりつかせ、炒糖色は煮物のための焦がし砂糖の下地をつくる。三つの身ぶりで自分を定義する料理の伝統は、皿を教えるのではなく、料理人を鍛える。
年と調味料
この料理には起点と、味の土台がある。資料は成熟を1662年、聚慶成の開業に置く。乾隆帝があるとき地元の平目を味わい、官焼目魚と名づけたとも記す。皇帝の命名は、料理を記録に固定する類のものである。味は三つの調味料による。独流老酢、天津甜麺醤、蒜蓉辣醤で、資料はこれらをこの料理を形づくる中心の調味料と呼ぶ。天津の四つの名物のうち二つは魚介ではなく小麦や米の小吃である。物語の残りの半分である。
