殿のなかの像 殿の内側は暗く、武則天の像がその光のなかに座っている。皇帝になった唐の女性であり、ここは中国で唯一彼女を祀る寺だ。建物は広元の嘉陵江のほとりに立つ。寺は彼女の台頭のあとに名を改め、彼女と結びつけられた。この順序が重要だ。この場所は最初から彼女の記念物だったのではなく、あとからそうなった。その「なる」過程こそが、殿のなかで見ているものだ。遅れて到着した記念は記念であり、しかしそれは生涯と同じだけ、ひとつの決定を記録している。この寺は年表の問題を抱えた文書である。建物と名と物語が、それぞれ別の時に来た。

顔であり、位置である 統治者の像を置く殿は扱いにくい対象だ。肖像であり、聖物であり、政治的な表明でもあり、三つはきれいに分けられない。像は写真ではなく、写真であるふりもしない。あとから造られた顔だ。訪れる人はそれを人として読む。部屋はそれを位置として読むことを求める。その二重の読み方がこの寺の方法である。寺は武則天がどんな人物だったかを告げない。権力を取り、それを保った女性を、ひとつの場所がどう扱うかを見せる。死後に作られた似姿も証拠ではあるが、証拠となるのは座った者ではなく、作った者についてだ。

背後の崖 寺の背後と周囲の崖には造像があり、全国重点文物保護単位に指定されている。大きな仏と、中心柱窟が含まれる。中心柱窟は、岩に残した柱のまわりを礼拝者が歩く形で、独立した像のまわりを回るのではない。石刻は殿とは別の論理に属する。発願、功徳、崖を部屋に刻むこと。だからこの場所は単一の記念館より面白い。二つの意味の体系が同じ川岸を分け合い、どちらも他方を説明しない。殿は目に的を与え、窟は足に巡路を与える。体がどう振る舞うべきかについての、この違いが大きい。

川が正直に保つ 川が第三の要素であり、この場所を正直に保っている。水は追悼しない。寺の前を、造像の前を、街の脇を流れ、物語のあらゆる版を通過してきた。殿と崖のあいだに立つと、難しいのは伝説と物を分けることだ。像は後世の似姿、石刻は信仰の仕事、そして皇帝とのつながりは、この場所が自分について述べる主張である。どれも寺を偽にはしない。地方で権力がどう記憶されるかの文書にする。答えではなく問いを持ち帰ること。この種の場所では、それが正しい結果だ。