北山に立つと、目が最初に見つけるのは秩序である。造像は892年、昌州刺史の韋君靖が、築いたばかりの寨堡の地で鑿ち始めた。その後、五代と両宋を経て1146年に及ぶまで、二百五十年余り続いた。唐が滅んだあとは、郷紳、僧尼、そして普通の家々が受け継いだ。一代が止まれば、次の代が刻み続けた。主たる崖面は眉月形で西を向き、長さ四百六十メートル、高さ七メートル。1952年に県の文物部門が番号を振り、南段に一号から百号、北段に百一号から二百九十号を与えた。いまもそのうち二百六十四の番号が一躯の造像と対応している。番号が崖に目次を与え、人は端から端まで歩いて一龕ずつ読むことができる。
雑誌から
北山:番号がつくる山
大足の町の北の唐宋の崖。公表された番号表が、小さな凹みの壁を読める順序に変える。
同じ街をめぐる · 大足区 ↗一号から二百九十号まで
密教の主題と多くの観音
番号を追うと、主題も段落ごとに変わる。南段は晩唐と五代、北段は両宋に属し、あいだに百数十年の隔たりがあって、気風も同じではない。現存する造像は七千躯余り、六つの類に分かれる。仏、菩薩、羅漢、金剛、経変相、そして世間の人物の像である。主題のおよそ三分の一は密教に属し、浄土、三階教、禅宗の内容も加わる。観音は番号表の全体を貫き、宋代の像では半分以上を占める。もっともよく引かれるのは第136号の転経輪蔵窟で、動と静を向かい合わせるその組み方、すなわち蔵は回り仏は坐るという対比が、宋の石刻の代表とされてきた。
西と東の三つの小さな崖
主たる崖面がこの山のすべてではない。西、西南、東にそれぞれ小さな崖があり、それぞれに番号が付き、それぞれにまとまりを持っている。仏湾の西一キロが観音坡で、長さ三十四メートル、高さ六メートルの岩に四十二の龕があり、主に前蜀、後蜀、宋に鑿まれた。主崖面の西南の仏耳岩は、長さ三十三メートル、高さ十七メートルの崖に二十五の番号龕を持ち、像は五代のものが多く、宋に増刻が加わった。東へ二キロの営盤坡は、壁の長さ二十五メートル、高さ十五メートルに十七の番号龕があり、韋君靖がここに兵を置いたという伝えが名の由来である。この山を読めるものにするのは、ほかならぬこの番号表である。一龕ずつ、順に、同じ一枚の図の上で。

