村より先に峠があった 桃坪はもともと、成都平原から高地へ上る道が通る峠だった。紀元前111年、前漢はここに広柔の県の役所を置いた。村はその峠のまわりに育ち、形は見せるためではなく守るために決まった。細い路地、見通せない角、つながる屋根、そして近づく道を見渡せる一基の望楼。町の住民の98パーセントがチャン族で、古い村では今も人が食料や家畜を置き、暮らしの場として使っている。

石の下の水 地下水路網は、訪れる人がいちばん見落とす部分だ。路地の下を水路が走り、山の渓から水を引いている。石の開口部から手を伸ばせば、水に届く。包囲されても、村は外へ出ずに水を得られた。この仕組みは日常の水にも使われ、土地の排水も助けている。水は村の外から来て、村の内側を通り、また外へ出ていく。失われた秘術ではない。乾いた、守るべき斜面に対する実際の答えであり、使う家々が今も手入れをしている。

望楼と屋根の風景 望楼は村の上に突き出し、頂にはわずかに反った魚の背のような輪郭がある。壁は上へ向かって細くなり、窓は小さい。まわりには平らな屋根が並び、穀物を干し、路地に出ずに家から家へ移るのにも使われる。村は2013年に4A級の風景区とされ、観光が多くの家計を支えるようになった。危ういのは路地が舞台になることだ。問われるのは、水路、屋根、畑が今も使われているかどうかである。