勝山要塞は孫呉県沿江満族・ダウール族郷にあります。日本軍は中国東北部の占領政策の一環として、1934年に陣地の建設を始めました。県の記録は、勝武の司令部、主陣地である勝山、茂蘭の前方陣地という三つの主要部分を挙げています。この施設群は1945年8月、ソ連軍によって破壊されました。
雑誌から
勝山要塞:戦時の軍事遺跡を読み解く
勝山要塞は、日本による中国東北部への侵略と占領に関わる軍事景観を今に伝えます。地下構造や防御施設は、記録された年代と証拠に基づいて読み解き、侵略の歴史を曖昧にしないことが大切です。
同じ街をめぐる · 黒河 ↗
1934年に始まった日本軍の陣地建設
丘陵に築かれた軍事システム
コンクリート施設と地下空間が、相互につながる軍事システムを形づくっていました。記録された遺構には、指揮所、兵舎、武器・弾薬・物資の保管庫があり、地上には砲兵陣地も残ります。森林に覆われた地形に施設が分散しているため、一つのトーチカだけでは要塞全体を語れません。孫呉の文化遺産記録は、保護区域内に49か所の遺構・遺跡を確認しています。
主陣地の外へ続く調査
2025年、住民からの情報をきっかけに、文化遺産調査チームは要塞近くの西神山周辺で新たな遺構を調べました。航空写真とRTK測位機器を使い、コンクリート製トーチカ、銃眼、兵舎、砲兵施設を記録しました。隠された陣地の一つからは要塞博物館を望め、主防御区域を支える位置にありました。日本の侵略を伝える現存資料の規模を明らかにするため、測量と地図化が続いています。
