チョンギェの王墓は、おおむね7~9世紀の吐蕃王朝の時代に属する。チョンギェ川の南、ムラ山の麓と近くの谷の地面に広がる。最初にその規模を伝えるのは、景観の中に分布する土の形である。
墳丘は宮殿や寺とは異なる記念物だ。その量感は地面そのものに目を向けさせ、墳丘間の距離は周囲の地形を遺跡の一部にする。一つの入口や正面よりも、形同士の関係から墓群を理解する。
雑誌から
チョンギェ川の南で、墳丘、石の記念物、それらをつなぐ地形が吐蕃王朝ゆかりの景観を保っている。
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チョンギェの王墓は、おおむね7~9世紀の吐蕃王朝の時代に属する。チョンギェ川の南、ムラ山の麓と近くの谷の地面に広がる。最初にその規模を伝えるのは、景観の中に分布する土の形である。
墳丘は宮殿や寺とは異なる記念物だ。その量感は地面そのものに目を向けさせ、墳丘間の距離は周囲の地形を遺跡の一部にする。一つの入口や正面よりも、形同士の関係から墓群を理解する。
遺跡には石碑や石の獅子もある。山南の歴史紹介は、王の資質や事績を記念する碑文を説明する。最大の形が土でできた景観に、言語と彫刻が加わる。
碑文は墳丘とは別の方法で記憶に働きかける。名を挙げ、称え、記録し、言葉に耐久性のある支えを与える。墓の大きさが記念物としての存在を示す一方、石の文章は人物と権威をより具体的に語る。この関係も遺跡の価値をなしている。
2012年の遺跡紹介は、平らな頂を持つ方形と台形の墳丘を区別し、方形が多いとする。土、木、石を使った構造にも触れる。一見単純な土の塊が、つくられた構造として読み取りやすくなる。
墓群は谷の複数の場所を占める。ムラ山麓とドンガ付近の墳丘は、大きな埋葬景観の中で関連する区域をなす。石刻、墳丘、その間の地面は、それぞれ遺跡の異なる面を保つ。合わせて読むことで、王を記念する歴史が場所の形として現れる。