県の資料は、泗県を通る隋唐運河の流路を通済渠に残る現役の区間の一つとする。県内には旧河道が約28キロ残る。「生きた景観」と呼べるのは、封じられた考古学の溝にとどまらず、後代の利用や保全が地域の暮らしに関わり続ける川だからだ。
雑誌から
宿州(安徽):古汴河を見守る退職後の日々
泗県の退職住民・張永平は自転車で古運河沿いを巡る。今も残る水路を、数十年の修復と保全につなぐ。
同じ街をめぐる · 宿州(安徽) ↗今も流れる川
自転車での巡回
記事は退職後の張永平が自転車で運河沿いを見守る姿を追う。彼によると、5.8キロは歴史的な姿を保っている。人の暮らしの尺度が、王朝期の運河工事から現在の保全へと視点を移す。子どもの頃から知る水路へ自転車で戻り、残るものに気づく人を増やそうとしている。
川の名と記憶
張は運河の水を飲んで育ち、この古い水路を汴河と呼ぶ。隋の煬帝が揚州へ向かったという地元の歌も口承の記憶に伝わる。記事によれば、張は歴史資料を読むなかでその話に出会った。歌は地域の伝承であり、保存されている河道についての張の説明は、現在の景観に関する証言である。
受け継がれる水路
記事は古河道を後世の水利景観とともに紹介する。古い堤防の北側には、淮河の治水を目的に江蘇、河南、安徽の三省が共同で新しい汴河を掘った。洪水対策に加え、灌漑、交通、生活用水、養殖にも役立ったと記事は述べる。古い流路と新しい河川は、地域の水の歴史に属する別々の章だ。舞台は安徽省宿州、具体的な場所は泗県である。