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三つの異なる時代に築かれた宮殿

瀋陽故宮は、東から西へ進むにつれて性格を変える。儀礼の庭、高台の住居、後年の書庫が、その理由を教えてくれる。

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黄色い瓦屋根、彩色された梁、赤い扉をもつ殿堂が、マツの枝に縁取られた石敷きの中庭に面している。
彩色装飾が修復された、瀋陽故宮の崇政殿。

三つの道筋、ひとつではない宮殿

八角形の殿堂、謁見の建物より高い場所にある居住区、外観は二層ながら内部に三層を収める書庫。瀋陽故宮は、ひとつの建築の型を繰り返す場所ではない。東部、中部、西部の建築群は、異なる時代に異なる目的でつくられた。その違いも物語の一部である。

清帝国の基礎となる国家を築いた女真の指導者ヌルハチは、1620年代に宮殿の初期段階の建設を始めた。後継者ホンタイジが、さらに宮廷を整えた。清の政府が1644年に北京へ移った後も、歴代皇帝はこの祖先ゆかりの宮殿を使い、拡張し続けた。ユネスコは、建築群の建設を1625~1626年から1783年までの長い期間に位置づける。そこにあるのは、ひとつの時点で実行された単一の計画ではなく、変わる志向の記録だ。

開かれた庭から、台上の住まいへ

東部の建築群は、大政殿を中心に集まる。八角形の姿と一対の龍柱は、政治的な機能を知る前から見分ける手がかりになる。庭の両側には、十の小さな亭が並ぶ。開かれた空間に建物を配することで、支配者と組織された集団の関係が見えるようになっている。

中央の道筋は、仕組みが異なる。連続する中庭が、進入、謁見、居住の順序を整える。崇政殿は政務の場で、その奥では、鳳凰楼を境として居住用の建物が高い基壇の上に立つ。ここでは、主な謁見殿より高い地面を家族の住まいが占めており、行政の建築が続く宮殿の中で、囲まれた居住世界が際立っている。

建築は、最初の住人の後にも変わった。18世紀の清の皇帝・乾隆帝は、行幸に備えて中央軸の脇の建物を改変した。したがって、今日見える左右対称の姿には、王朝創設期の宮廷をどう見せるかという、後世の判断も含まれている。

皇帝が、本とともに帰る

西部の建築群は、主としてその後世の宮廷に属する。舞台と関連施設が宮殿に上演の場をもたらし、文溯閣は皇帝の収集に大きな建築的な器を与えた。1782~1783年に建てられたこの書庫は、中国南部の著名な蔵書楼、寧波の天一閣を手本とした。建物のモデルが地域を越えて移ったこと自体が、清の宮廷の視野の広がりを示す手がかりである。

文溯閣は、膨大な勅撰叢書『四庫全書』を収める書庫のひとつだった。「四つの書物の分類を集めた全書」という名を持つこの叢書の復元展示には、複製本が使われている。建築の手本と所蔵する文献を通じて瀋陽を広い帝国に結びつけた、その書庫の配置を再現している。

これらの空間を合わせて読むと、権力の三つの尺度が見える。開けた場所に編成された集会、奥行きに沿って並ぶ政務と家族の暮らし、王朝の生まれた場所を振り返る後世の皇帝の書庫。それぞれの違いが、宮殿全体を理解する筋道となる。

舗装路と芝生の向こうに、緑の柱、暗い色の瓦屋根、並ぶ格子窓を備えた2階建ての楼閣が立つ。
瀋陽故宮の西側にある文溯閣。
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写真の出典と権利情報
  1. 彩色装飾が修復された、瀋陽故宮の崇政殿。出典:Liaoning Provincial Department of Culture and Tourism. 画像ライセンスは記載されていません。 · 権利状況不明 元写真の出典 ↗ 元の縦横比を保持し、必要な場合のみ表示用コピーを縮小しています。拡大、トリミング、修整は行っていません。
  2. 瀋陽故宮の西側にある文溯閣。写真:Am Wu (embedded metadata). 出典:Liaoning Provincial Department of Culture and Tourism. 画像ライセンスは記載されていません。 · 権利状況不明 元写真の出典 ↗ 元の縦横比を保持し、必要な場合のみ表示用コピーを縮小しています。拡大、トリミング、修整は行っていません。