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「十二工」から「四工」へ—サラール族の河谷を示す地名

街子は循化の二つの地図で異なる位置を占める。2018年掲載の自治県条例では郷の名、古いサラール族史では西側の「工」の一つとして記される。歴史上の方位は黄河の流れで説明できる。

1932年、循化の積石鎮郊外にあるサラール族の集落。
1932年、循化の積石鎮郊外にあるサラール族の集落。

川の上流側と下流側の集落

2018年に掲載された自治県条例は、循化サラール族自治県の行政単位として街子郷を挙げる。古いサラール族史は別の地図を示す。清代の「工」は県城を中心に村々をまとめた単位で、西部と東部に分かれていた。黄河がこの谷を西から東へ流れるため、西側が「上」、東側が「下」と呼ばれた。初期の十二工では街子は西側に含まれた。

時代をまたぐ村落のまとまり

歴史記述は最初の十二工を雍正年間にさかのぼらせ、それを現代の郷鎮ではなく村落群と説明する。西側の一覧には街子、草灘壩、查家、別列、查汗大寺、蘇只が並び、東側には清水や孟達などが挙がる。編成が変わると草灘壩と別列は周辺の単位に統合され、歴史的な呼称は上四工・下四工に落ち着いた。「上」と「下」の方位は黄河の西から東への流れに由来する。

2018年掲載の条例は循化県の街子郷を記すが、歴史上の「工」は別の行政制度に属した。二つの名称を並べると、旧来の地域地理と現代の郷鎮地図が併存していることがわかり、川の流れは「上」「下」の歴史的な方位を説明する。

1933年、循化のサラール族女性を写した記録写真。
1933年、循化のサラール族女性を写した記録写真。
1932年、循化の黄河沿いで木桶を運ぶ子どもたち。記録写真。
1932年、循化の黄河沿いで木桶を運ぶ子どもたち。記録写真。
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写真の出典と権利情報
  1. 1932年、循化の積石鎮郊外にあるサラール族の集落。Holton, Carter D., 1901-1973 [creator] 1923-1941 · CC BY-SA 4.0 元写真の出典 ↗ 権利情報 ↗ 切り抜かず縦横比を保って縮小し、WebPに変換。被写体の追加・削除・再構成はしていません。
  2. 1933年、循化のサラール族女性を写した記録写真。Holton, Carter D., 1901-1973 [creator] 1923-1941 · CC BY-SA 4.0 元写真の出典 ↗ 権利情報 ↗ 切り抜かず縦横比を保って縮小し、WebPに変換。被写体の追加・削除・再構成はしていません。
  3. 1932年、循化の黄河沿いで木桶を運ぶ子どもたち。記録写真。Holton, Carter D., 1901-1973 [creator] 1923-1941 · CC BY-SA 4.0 元写真の出典 ↗ 権利情報 ↗ 切り抜かず縦横比を保って縮小し、WebPに変換。被写体の追加・削除・再構成はしていません。