川は楼閣にもう一つの輪郭を与える。甲秀楼の屋根は南明河に面し、橋や周囲の市街地とともに街の景観を形づくる。三層の楼閣は、歴史を知らなくても見分けやすい。王朝名を並べる代わりに、目に見える一つの建物から貴陽をたどることができる。
雑誌から
野心を映す楼閣
貴陽の南明河に立つ甲秀楼。その名には、学びや科挙への願い、そして幾度もの再建の歴史が重なる。
同じ街をめぐる · 貴陽 ↗
川の景色に立つ建物
名に込められた願い
「甲秀」は科挙で優れた成績を収めることを連想させる。科挙は、厳しい筆記試験を通じて多くの官吏を選んだ制度だった。家族や地方官にとって、学問には個人の希望だけでなく地域の願いも託されていた。その願いを表す名は、街と川が出会う場所に掲げられた。
受け継がれた未完の仕事
地方史によると、江東之は1598年に楼の建設を始めたが、完成を見る前に職を離れ、帰途で亡くなった。後任の郭子章が工事を再開し、1606年に完成させた。その後も破損と再建が続き、17世紀の改築では来鳳楼と改名されたが、1689年、田雯の時代に甲秀楼の名が戻った。未完の仕事を別の人が引き継ぐという、人の営みがこの名所には刻まれている。
名所には複数の年代がある
建設は明末、地方官の江東之のもとで始まった。記録には中断、後任による完成、繰り返された再建も記される。創建の物語と、現存する梁一本一本の年代は別の問いである。修理し、名を改め、再び大切にする選択を重ねることで、街は名所を保ってきた。川辺の眺めと記憶された名は、今も一緒にある。
