水をめぐって広がる庭園

清暉園は、もとは黄士俊の邸宅だった。黄士俊は1607年に状元となった。乾隆年間に進士の龍応時が園を買い、その後、龍氏一族が代々整えた。現在の嶺南水郷式庭園でも、水景が重要な役割を果たす。堂、亭、回廊、楼閣、水辺の建物が視線を連ね、一つの中心景観だけを囲む構成ではない。

部屋、装飾、移り変わる眺め

園内には亭、台、堂、館、楼、閣、回廊があり、高低、広さ、明るさ、密度の対比が変化をつくる。装飾には嶺南の草花や果実が多く描かれる。灰塑、木彫、エッチングガラスが、こうした意匠を建築の表面に運ぶ。池、部屋、敷居、装飾が見る順序を組み立てる。水面から堂へ視線が伸び、回廊が次の庭の眺めを額縁のように切り取る。

修復と嶺南庭園の伝統

1990年代末、順徳政府は資金を投じて庭園を以前の配置に近づける修復を行った。そのため今日の庭園には、黄士俊や龍氏一族の時代に重ねられた歴史だけでなく、現代の修復史も含まれる。清暉園は梁園、余蔭山房、可園とともに広東四大名園に数えられる。

水を中心とした空間の連なりと嶺南の装飾意匠が、順徳の庭園を広い地域の伝統に位置づける。修復は、その伝統を現代社会がどのように守るかも記録している。