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長江の岩に留められた十二層

石宝寨は川中の岩に倚る木の楼。ダムが岩を島にし、県は水を防ぐ堤を築いた。

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玉印と呼ばれた岩

この岩は忠県石宝鎮の長江北岸に立ち、高さ十余丈、四方が切り立ち、地元の丹霞地形に属する。伝承では女媧が天を補修したときの五色石の余りで、だから石宝と呼ばれる。形が玉印に似るので、玉印山の別名も得た。明末、譚宏が挙兵して武陵王と自称し、山を占って寨とした。石宝寨の名はここから来た。岩と楼は貼り合い、川から見るとどこが岩でどこが木かほとんど分からない。一つの建築が岩の形を引き継いでいる。石宝の名は岩を指し、同時に天を補った余りの石も指す。楼は二つの名のあいだに建つ。

石宝寨
石宝寨
石宝寨
石宝寨

崖に倚る楼

楼は段階を踏んで山を上った。乾隆の初め、人々は崖に固定した鉄の鎖を頼りに、山頂に寺を建てた。嘉慶の時代には山勢に従って九層の楼閣を建て、線は岩に沿った。1956年、楼は十二層に増やされ、すべて木造である。建物全体は登り道、「必自卑」の石牌坊から寨門、寨楼を経て、奎星閣と天子殿まで続く。2001年6月25日、第五批全国重点文物保護単位に入った。木の楼は層と崖と一緒に高くなった。十二層は一度にできたのではなく、乾隆、嘉慶、1956の三つの時点がそれぞれ一段を加えた。

堤に囲まれた島

ダムが水を貯めると、玉印山は川心に突き出た小さな島になり、周囲の水位が上がり、下の岩が軟らかくなったり崩れたりする恐れが出た。そこで山寨全体の外側に大きな堤が築かれ、山と楼を一緒に囲った。県の記録は別の場所の代償を率直に書く。忠県は102平方キロが水に沈み、県城は北へ移った。地方政府は2005年に保護工事を完成させ、2009年に観光客へ再公開した。ここの川谷は県で最も低く、石宝鎮は海抜117.5メートル。堤の内と外で、二つの水位がある。堤は島と川を隔て、水を建物の外に止める。2005年に築堤し、2009年に再開、その間に四年の補修があった。

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写真の出典と権利情報
  1. 石宝寨jt Guan / CC BY 3.0 · CC BY 3.0 元写真の出典 ↗ 権利情報 ↗
  2. 石宝寨Fxqf / CC BY-SA 3.0 · CC BY-SA 3.0 元写真の出典 ↗ 権利情報 ↗