中山公園は庭園ではなく、博覧会の会場として始まった。1902年、直隷総督であった袁世凱は海河の北に河北新区を画き、大経路をその中軸とした。その新区の中央に、勧業会場と呼ばれる公園を計画する。公園でありながら政治集会の場でもあり、孫文、李大釗、周恩来がたびたびここで演説し、請願した。のちに孫文を記念して中山公園と改称され、今は北寧公園、一宮花園と並んで河北区の公園に数えられる。
袁世凱の新区の中央にあった博覧会場。三人の指導者がここで語った。