1930年秋、盧作孚は沙坪垻区北部の北碚に私立兼善中学を開いた。校名は「窮すれば則ち独り其の身を善くし、達すれば則ち天下を兼ねて善くす」から取られ、校訓は「捨ててこそ得る、兼善に学ぶ」として今に続く。学校は教える傍らで事業を営んだ。農場、食堂、兼善公寓、石灰工場である。これらは生徒が働く場であると同時に、他人に手を借りずに学校を支える資金源だった。だからこそ、鉱山町の目立たない共同住宅は、寮であるだけでなく、学校が自らを養う帳簿でもあり、今日も訪ねる価値がある。
雑誌から
兼善公寓と、盧作孚が建てた町
農場、食堂、公寓、石灰工場で学校を養った。嘉陵江の炭鉱町、北碚の話。
同じ街をめぐる · 北碚区 ↗自らを養う学校
嘉陵江に町を建てる
北碚は沙坪垻区北部の嘉陵江岸にあり、盧作孚は二十年をかけてそこを変えた。1927年、デンマーク人技師を招いて炭鉱へ通じる鉄道を測量させ、路線は1935年3月に開通した。1928年には寺を区の図書館に変え、寄贈された約四百冊の本を蔵書の始まりとした。1930年には丘の上の寺の上殿を科学院に改めた。麓には温泉公園、火焔山には公共公園、川辺には競技場がつくられた。1929年4月の嘉陵江運動会では、38の団体から1161人の選手が集まった。町の形は、川と丘に沿って決まっていった。